忘力 of ホロンハーモニー





「忘れること」は、多くはマイナスの意味合いで使われています。一般に記憶力がいいのが頭が良いという認識があるようです。確かに基本的な記憶力は必要でしょう。

 しかし、記憶といっても数字や知識の記憶ではなく、過去の体験の記憶は、忘れた方がいい場合が多いと思います。

 人間は歳を取れば自然に記憶力は衰えていくようです。私も40歳を越えてその事を実感します。

例えば人の名前など憶いだせないことが時々ありますが、憶いだせない人は、だいたい今の自分にはさほど重要でない人がほとんどです。

 それは記憶の特長なのですが、用のないもの、使わないものは(情報)は、忘れ去られるようになっています。・・・どこかで立ち寄った公衆トイレの光景など憶いだしますか??・・・


 さて一見必要そうで、実は無駄な情報・記憶というのもあります。将棋の世界に羽生善治名人という方がおられますが、将棋のプロというのは過去の将棋の膨大な記録(棋譜)を記憶しています。

 ところが、これが新しい誰も気づかなかった「手」をさす時にジャマになるのだそうです。

 過去の記憶が創造的な思考をするときの妨げになる例なのですが、羽生名人は、時々棋譜(過去のデーター)を一気に捨ててしまうそうです。そのくらい忘れる努力工夫しているのです。

 そしてどうしても必要な時はあらためて調べるのだそうです。とくに現代ではパソコンが発達したおかげで、検索にかければ知りたい情報がすぐに出てきます。おそらく人間の記憶より正確でしょう。

 パソコンの発達は、人間の脳をより創造的なことに使いなさい、という時代のメッセージかもしれません。


 さて、忘れたい過去の記憶というのもあります。例えば失敗の体験、事故に遭ったことや、人から否定的な扱いや言葉を言われたこと・・・などネガティブな体験は完全に消去したい記憶です。

 もちろん失敗は教訓として学びになりますが、それらの過去の記憶が亡霊のようにして、現在の思考・行動の足を引っぱるのは問題です。また失敗するのではないか・・とか、自分にはそんなことできない・・・、誰かのせいで私は不幸になった・・など数え上げたらきりがありません。


 そういった記憶は実は変容させることが可能なのです。起こった事実は変わりませんが、その意味と印象が変わると記憶が忘れやすくなります。

 それは記憶がビデオテープのように保存されているのではなく、色、形、明暗、音、方向、触感・・・など全部バラバラに認識して、バラバラに保存されているからです。
 思い出すというのはそれを再合成しているのです。だから色や形・・・などを変化させると記憶も変化してしまうのです。


 さて、私たちは過去に起こった事として記憶していますが、記憶と時間というのは密接に結びついています。
 例えば、よくあることなのですが、過去同じ体験をしたはずの者同士で、記憶が食い違うということがあります。どうやら記憶と時間の問題には、人間の主観(意識)が強く関わっているようなのです。


 時間に関しては、多くの人々は、自分たちを取り巻く物理的・客観的な宇宙空間があり、そこに過去から未来へと絶対的な時間が流れていると漠然を考えています。

 ところが、橋元淳一郎氏の「時間はなぜ取り戻せないか」によると、「現在知られている物理学の法則の中に、時間が過去から未来へ流れているということを示すものは何一つない」のだそうです。

 そして時間の流れもないばかりでなく、過去と未来という区分もなく、どの時点を現在とするかは、単なる座標軸の設定の問題だそうです。

 ではなぜ時間という意識が生じるか? それは「生命の主体的な意志(主観)が、時間の流れ(時間の矢)を生んでいる」と推論しておられます。


 私たちの意志があってこそ、時間の流れが生じるということですが、過去にばかりとらわれている人は過去の時間に生きている人といえます。それゆえ過去と同じパターンで繰り返す人生を送ってしまうのです。

 それは実にもったいないと言えないでしょうか。肯定的な目的で“忘れる力”を磨く必要があると私は思います。