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時間というのは不思議な存在です。私たちが普段慣れ親しんでいる時間は時計ですが、時計は時間を計るものさしであって、時間そのものではありません。ただ時計がないと社会生活が不便なので、便宜上「こうしましょう」ということで使っているのです。
さて同じ時間を共有していても、人それぞれ時間の感じ方に違いがあります。面白いこと、何かに熱中しているときなどは、あっと言う間に時間は過ぎるし、反対にイヤな事、例えばつまらない学校の授業というのは本当に長く感じられます。
つまり時間の感じ方というのは主観的だということです。
NLP心理学によると、人はそれぞれ独自の時間軸をもっていることがわかっています。
過去・現在・未来という時間の流れを、その人の感覚として把握しているのです。これは当然のことで、過去の出来事と未来の出来事が区別できなければ生活ができません。
人は自分の内部で時間を保存しているのです。
この時間の流れの感覚を「タイムライン」といいます。
例えば日本でもある地域では「〜時間」といって約束の集合時間から平気で遅れて集まって、それで問題ないという慣習があり、初めて経験した人はめんくらった、という話があります。
これなど「タイムライン」が違うのです。欧米や日本などの多くの国では、時間は直線的に進んでいく、という感覚をもっている人が多いのです。
それは産業革命によって工場ができ、何時に出社して何時に仕事開始というように時間どおりに行動するよう仕向けられたからでしょう。もちろんこれは今の学校教育にもあてはまります。
身体(自然)の仕組みからいえば、時間などで区切られずに集注できるだけそれに没頭した方がいいのです。それを途中で止められると不完全燃焼のエネルギーが残ってしまうのです。
さてタイムラインの活用法は多岐にわたります。例えば過去を変えることによって未来が変わってしまうことです。
またその逆に未来を変える(より可能性にあふれた素晴らしいものにする)ことによって過去も変わってしまうことがあげられます。
人は過去の失敗、後悔、痛み、罪意識などを知らず知らずの内に抱え込んで生きていることが往々にしてあります。これはそれ自体がエネルギーを消耗させていることになっているのです。
その人の未来に向かうアクセルにブレーキを踏んだ状態になっているのです。これでは空回りしてしまいます。
私の知っている人が「職場ではなるべく目立たないようにしている」と話していました。一方でその仕事にどうもやりがい、喜びを感じられないとも言っていました。
職場というのはチームワークが大切なのに人を避けるような仕事への取り組みで、喜びが感じられるはずがない、と私は思ったものです。
これなど過去のどこかの時点で「目立たないようにするのが良い」という観念が何かの経験によってつくられ、その人の現実を支配しているのです。
そういう過去の観念をちょっと変化させるだけで(例えば、私は自然に自分らしくありのままに振る舞う、と書き換える)、現在と未来が大きく変わっていくのです。
さてもう一度ここで「本当に過去など存在するのでしょうか?」と問いかけます。
アビダルマという仏教哲学での答えは「過去などない」のです。あるとすればその人の頭の中にあるだけです。それも過去をわざわざ再生した時のみです。
アビダルマによると宇宙とは瞬間瞬間でつくられ、また瞬間瞬間で消滅していく(これを刹那瞬(せつなしゅん)という)、「今」の瞬間のみが実在するちょっと想像できない姿なのです。

